日本建築は、「間」の建築です。
西洋建築のように、空間を装飾でびっしり埋めるのではなく、何もない空間「間」を大切にします。
歴史/家相/平面計画/日照の計画
○西洋の建築だけが、機能的で合理的なのではありません。日本の伝統的な建築も、見れば見るほど合理的なことが分かってきます。
最近は、古い民家を改造して、現代の生活に合わせて住む方が、増えてきました。
ここで、日本建築の良さを、少し学んでみませんか。
歴史(構造の面から)
- 世界中のどこでも、住宅の材料は、その土地でできるだけ簡単に、しかも豊富に手に入るものを使用してきました。西洋では、石や木材、乾燥地では泥のレンガ、そして日本では木材です。
- 木材の特徴
- 乾燥させた木材も、10から15%くらいの水分を含んでいます。そして常に水分の放出や吸収を行っています。これを維持することが耐久性に大きく影響します。つまり木は切られた後も生きつづけているのです。
木材は軽く、しかも丈夫です。しかも、復元力もあり、加工も容易に出来ます。
欠点としては、すぐに燃えてしまうこと。条件によっては、すぐに腐ってしまうことでしょう。
これらの長所や、欠点を考え、昔から日本人は丈夫で美しい建築を造ってきました。
日本建築の工法
- 日本の木造建築物は、古来から「軸組み工法」が大部分を占めています。建築基準法で言う「在来工法」とは軸組み工法の一部です。
ここに書いたものは、「軸組み工法」の中でも、主に「伝統工法」を記載しています。「伝統工法」は、古来からたくさんの名建築を造ってきましたが、現在の「建築基準法」では、構造的には、そのほとんどが使用できません。
- いろいろな理由が、あるのかもしれませんが、「伝統工法」で造られた、古来からの建築物が数百年から、千年もの年月、地震や台風にも耐えて、建っていることを考えても、現在の工法が絶対に良いとはいえないのではないかと感じます。
- 住まいの発生
- 最初の住まいは、洞窟だったので、技術らしいものはありませんでした。その頃の、木材はただ火の材料や、こん棒の役割くらいだったでしょう。
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- 屋根の出現
- やがて、地面に穴を掘り、屋根をかけるようになりました。この形式ですと、洞窟に縛られず、平地や高台にも住めるようになります。柱は、地面に直接埋める、いわゆる掘立柱でした。
この竪穴式住居は、内部で火をたいたり、外の風も入らず、結構住みやすかったのではないかと思います。
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- 床の出現
- 縄文時代の中頃(紀元前1000年頃)には既に、倉庫などには、高床式の建物が使われていたと考えられています。やはりこれも、「掘立柱」です。
しかし、この方法ですと、柱の地面に埋まっている部分や、外に出ている部分はいのですが、地面すれすれの、雨にぬれたり乾いたりが激しい部分では、すぐに腐ってしまいます。
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- 礎石(そせき)の出現
- 古墳時代から、飛鳥時代になると、柱が腐らないように、地面との間に「礎石」を置くようになりました。
これで、耐久性が大幅に向上し、明治時代に西洋から取り入れられた、筋交いや、金物による補強ができる頃まで続きました。
現在の法律では、強度の面からこの工法は、認められていません。
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- 長押(なげし)の出現
- 奈良時代になると、さらに建物を丈夫にするため、柱と柱を横に繋ぐ「長押」が発明されました。
これによって、横からの力に更に丈夫になったのです。この「長押」は、現在でも和室の部分に名前だけは残っていますが、現在のものより、ずっと大きな丈夫な木材で、1面の壁でも数箇所に使われていました。
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- はね木の出現
- 平安時代、雨にぬれる壁を守るために、軒先をもっと出したいということで、屋根の下に「はね木」が発明されました。それまでも、軒を深く出してはいたのですが、工作が面倒な、肘木や斗拱が不用になったのです。そして、その「はね木」を隠すために、天井が出来ました。
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- 貫(ぬき)の出現
- 鎌倉時代には、横からの力に対して、より丈夫にするため、「貫」が出現しました。これは、長押は柱の両側から木材をくぎで止めていましたが、「貫」は、柱に穴を開けて、そこに長い木材を通すという工法です。そのため、さらに丈夫なものになり、高さも25mを超すような、東大寺の南大門も出来るようになったのです。
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- 土台の出現
- 戦国時代、城郭建築が出来てきて、高層化の必要が出てきました。
そのためには、柱は出来るだけ正確に建てなければなりません。今までのように礎石の上に柱を直接載せると、柱一本一本の長さが違ってきます。そこで、土台が発明されました。
- 礎石、土台と通し柱、貫を使用した城郭建築が出来てきたのです。
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- 差物(さしもの)の出現
- 柱に幅は柱と同寸で、成がそれよりも大きな木材を差込み、強度を持たせる材を「差物」といいます。そのほかにも梁や柱に、木材を複雑に組み込む方法を「仕口」といいます。
それらがほぼ完成したのが、江戸時代と考えられます。
それで、日本の木造の軸組み工法はほぼ完成したといってもいいでしょう。
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ここまでの木造建築物は、すべて礎石の上に建っています。コンクリートの基礎を使用した物はありません。(当たり前ですが)
現在京都や奈良で、皆さんが美しいといってご覧になる、数百年を過ぎた古い建築物は、すべてこれらの工法を使用して出来ています。なぜこれほど丈夫なのか、現在私達が造っている、建築物(特に木造の建築物)はいったいどのくらいまで耐久性があるのでしょうか。
勿論、生活が変化して、住まいもそれに応じて変化する方が、住みやすいかもしれません。しかし、大きく地球環境を考えたときに、現在のような20〜30年のサイクルで、簡単に立替えを進めていっていいものでしょうか。
紙のような鉄骨を組み合わせた建物や、欧米の工法をそのまま持ってきたような住まいは、現在の法規には合致しているのかもしれませんが、本当に住みやすく、日本の環境に合っているのでしょうか。
もう一度、日本建築の良さを、見直してみませんか。